時事通信 特派員リポート

[インドネシア] 三菱自の新車、インドネシアで大ヒット=「50年前の挑戦」が結実(ジャカルタ支局)

三菱自動車工業がインドネシアで生産している多目的車(MPV)「エクスパンダー」が大ヒットした。東南アジアにおける戦略車として開発した新型車だが、供給能力を大幅に上回る受注が入り、輸出の開始時期を遅らせる〝うれしい誤算〟が生じた。「他の車と比べ、開発段階からしっかりと市場調査をやったことが一番大きい」。同社の益子修最高経営責任者(CEO)は成功の要因をそう分析。輸出先の拡大を視野に入れている。

30年に1度

エクスパンダーは3列シート、7人乗りのミニバンで排気量は1500CC。三菱自が西ジャワ州に新設した工場で2017年9月から量産したが、予想を超える人気が集まった。増産の予定を前倒ししても需要に追いつかず、輸出を3カ月遅らせることになった。

最初の輸出先フィリピンへの出荷を記念し、4月下旬に北ジャカルタの港で開かれた記念式典には、ジョコ大統領も出席。「輸出と投資が経済成長のカギ」と繰り返しているジョコ大統領は、あいさつで「深い感謝」を述べた。18年はタイとベトナムも含め、約3万台を輸出する。

式典後に記者会見した益子CEOによると、エクスパンダーの開発は、16年に燃費不正問題が発覚した後に始めた。MPVでは既に他の日系企業がインドネシアで大成功を納めており、「同じことをしても勝てない」と考えた。
三菱らしさとして、スポーツ用多目的車(SUV)の要素をデザインに織り込んだところ、開発部門のテスト担当が「この車は10年、あるいは30年に1度の傑作です」と評価した。普段は厳しいことしか言わない職人が褒めたため、発売前から手応えを得ていたという。

「『安い車ならいい』ではマーケットはつかめない」。益子氏は、車としての魅力をどれだけ持っているかが成否を分けるという持論を展開し、ある外国メーカーを「典型的な失敗例」として挙げる一幕も。さらに、「あまりにも評判がいいので、世界に通用する車に変えてみようかという気持ちもある」と言及。中国やシンガポールなど引き合いのある国の規制に適合させるため、スペックの変更を検討する考えを明かした。

今なら認めない

三菱自は昨年12月、インドネシア政府と電動車の普及に協力する覚書も締結。成長著しい東南アジアで攻勢に転じており、会見は好調さを色濃く反映していたが、終盤に転調した。

「誇らしげに輸出セレモニーをやっているが、我々の力でやったとは思っていない」。益子氏はしんみりと語りだし、同社がインドネシアへ進出した1970年に思いをはせた。

当時は電気やエアコン、直行便さえなく、月に数台しか売れなかったといい、「50年前に始めた人が素晴らしい、許した会社もすごい。今なら会社は認めない」。過酷な環境で、成果も上がらない中での事業進出は「大きなチャレンジ」であり、「その遺産で食べていけている」と続けた。

益子氏も97年から約5年間、インドネシアに駐在。アジア通貨危機の逆風を経験している。感慨もひとしおだったと思われ、一つ一つの言葉に重みがあった。酸いも甘いもかみ分けた益子氏だからこそ、在任中の新たな「今なら認めない」挑戦を期待したい。

※この記事は時事通信社の提供によるものです。(2018年6月21日記事)

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